2013年03月08日

石井一昌追悼文福田邦夫様

石井一昌(日本を築く庶民の会会長・元護國團最高顧問・元護國團団長)への追悼文

石井一昌先生追悼

この度は石井一昌先生のご逝去、謹しんでお悔やみ申し上げます。

悲嘆の心中、推し測ることは不可能と存じます。玲子様のそばで、死ぬまで看病、との願いが叶ったとのこと、せめてもの慰めと思い、生前の先生のお姿を頭に想い浮べて合掌しております。誠実さ一筋を貫かれた師であり、私も石井先生より生きることの意味を教わりました。

先生の恩に報いるためにも残る生を反核と反戦の為に捧げる所存です。

石井一昌先生の心の支えであられた玲子様にも感謝申し上げます。尚一層のご健勝を念じております。

   明治大学商学部教授 福田邦夫


石井一昌公式ホームページ
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石井一昌追悼文篠原仁様

石井一昌(日本を築く庶民の会会長・元護國團最高顧問・元護國團団長)への追悼文

石井一昌先生追悼

慎みて石井一昌先生に哀悼の誠を捧げます

石井一昌大人とは戸松慶議先師の御縁で、20年程前から御教導賜りました。

当初は歴代の赤尾敏・福田素顕・中村武彦・影山正治氏等を撫で斬ってきた方だと聞き及んでいましたので、どれほど恐ろしい形相の御仁であろうかと思っていたのですが、予想に反して洵に愛嬌のある、或る種の親しみ易さを感じた次第です。

只その表情とは違った日本刀のような眼の先は、今でも輝いており、其の底光りする眼光は、戸松慶議先師と共通するものでした。さらに一度激高されゝば、所構わず大音声で吠え狂っておられた所も瓜二つでした。

今は二人の親を亡くした寂寥感で一杯です。

本当に石井一昌先生は日本最後の右翼でした。

茲に改めまして御霊前に哀悼の誠を捧げます。

今後玲子様に於かれましては何かと大変でしょうが、先師の御意志(遺志)を継いで戴きたいと切に御願い申し上げます。

    國乃礎本部副会長 篠原仁


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石井一昌追悼文江本孟紀様

石井一昌(日本を築く庶民の会会長・元護國團最高顧問・元護國團団長)への追悼文

石井一昌先生追悼

日本国の行く末をいつも案じておられた石井一昌先生とお会いしたのは共通のお医者さんのご紹介でした。その後、色々と国家のことや歴史等のお話しを聞く機会があり、勉強になりました。

まだまだお元気で頑張っていただけると思っておりましたが残念です。

ご生前のお気遣い有り難うございました。

心よりご冥福をお祈りいたします。

   プロ野球解説者・元参議院議員・
   元阪神タイガース 江本孟紀
    http://www.emoyan.com/


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石井一昌追悼文ビー太郎様

石井一昌(日本を築く庶民の会会長・元護國團最高顧問・元護國團団長)への追悼文

石井一昌氏を偲んで

石井さんのおかげでブログを立ち上げていただき、はじめは気乗りしないまでも日々記事を書いてゆくといつの間にか自分の言葉で自分なりに語れるものだと思えるようになりました。

そうしたら、石井さんまでも逝ってしまい、そろそろ潮時かと思っていたところ、一度ついた道筋はなかなか退却も辞さず、こうしてまた書いています。

自分の言葉で語れるようになると、やっとひとり立ちできた感じがします。

もしかしたら、このために居てくださったのか感謝のかぎりです。

思えば、石井一昌さんや太田龍さんが活躍した時代は戦後の日本を立て直す、そのような時代だったのでしょう。

右翼と左翼にうまい具合に日本が別れさせられ、太田龍さんはのちに気づき飛び出し、石井一昌さんは、真の右翼たらんと踏ん張っておられた。

真の右翼は昭和天皇を許さなかったが、名ばかりの右翼は傀儡の左翼と大して変わらなくなった。

大御所が去ると同時に世の中の流れも違う方向に向かっているような気がしています。

右翼とか左翼とか、

南朝だとか北朝だとか、

源平合戦だとか、

見方によって、どうにでも変わる指標だったり対象だったり、

紅白歌合戦をやっているような感じですね。

指揮者がいることを、とうの昔に

石井一昌さんや太田龍さんは、気づいていたことでしょう。

       akazukin管理人/ビー太郎
      http://ameblo.jp/ootadoragonsato/


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石井一昌追悼文四王天兼続様

石井一昌(日本を築く庶民の会会長・元護國團最高顧問・元護國團団長)への追悼文

石井一昌氏追悼

太田龍先生が亡くなられて、その三年後にまさか石井一昌氏が亡くなられるとは、その時はまったく思わなかった。

最後にお会いしたときには、勿論、それが最後と思わず、次はいつお会いするのだろうと思っていたのであるが……

このakazukinブログhttp://ameblo.jp/ootadoragonsato/というのは、石井一昌氏のご好意によるものであるし、私はこのブログに自分の今感じている事象、現在の政治、経済の問題点などを自分なりに考察及び分析し、記述した駄文を寄稿させていただいた。

このブログができる以前は、太田龍先生と佐藤耕治先生の顕彰会として皆で集まったと記憶している。

その時は私の知らないことなど教えていただいたものである。

私のような左翼がかった者にも分け隔て無しにお話しいただいたのであるが、このことは私自身非常にびっくりしたものだ。

右翼の大御所が私のような左翼的思想の者にもごく普通に会話をしている。

初めての会話の内容は天皇家についてだと記憶しているが……それも天皇制の批判めいた話であるのにだ!

この時のショックは忘れられないファーストインパクトである。

それだけに亡くなられたのは残念である。

今現在はakazukinブログも終了し、アメブロで自分のブログが出来つつあります。

    四王天兼続


管理人 佐藤耕治氏(平成十七年十月逝去)は石井一昌・太田龍双方の同志で医学博士


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石井一昌追悼文小森義峯様

石井一昌(日本を築く庶民の会会長・元護國團最高顧問・元護國團団長)への追悼文

石井一昌先生追悼

天真院慈眼昌道居士(俗名 石井一昌)の最大の功績は、昭和50年代、右翼民族派陣営の最高の指導者であった、片岡駿先生をトップにかつぎ、車・運転手・宿舎等を用意し、片岡先生をして、神州日本の将来を憂うる全国の有志を、北は北海道から、南は沖縄県まで、私宅等を訪ねて、「全国有志大連合」結成大会への参加を呼びかけさせたことである。

かくして、昭和五十六年八月九日・十日、岡山県湯原温泉「ホテル水島」での結成大会を経て、「全国有志大連合(略称「全有連」)」が結成された。

「全有連」初代会長、片岡先生は、昭和五十七年十月の第一回伊勢大会直後、急死され、第二代目会長を私が引き継ぎ、第二十回京都大会直後、私は会長職を退いて、「常任顧問」となり、三代目の会長の誕生を待ち、現在に至っている。「全有連」は、年一回、全国大会を開いて今日に至っている。

本年も、五月吉日、岐阜県大垣市で全国大会を開く予定である。

「全有連」は四つのスローガンを掲げているが、第一のスローガンは「正統憲法の復元改正」である。

また、全有連は、全国規模の「街宣運動」等も行っている。

重ねて言う。護国団団長(当時)石井一昌氏の最大の功績は、黒子に徹して、「全有連」をつくったことである。

その間の事情は、石井一昌著『日本を哭く』(平成七年発行)三二六頁以下に詳しく書いてある。

石井一昌先生、安らかにお眠り下さい。

    全国有志大連合 常任顧問
    憲法学者・法学博士  小森義峯


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石井一昌追悼文RIO様

石井一昌(日本を築く庶民の会会長・元護國團最高顧問・元護國團団長)への追悼文

石井一昌先生の思い出

在米の私がワイフさん(中西玲子〔石井玲子〕女史)と知り合ったのは、インターネットを通じてでした。

1990年代後半だったと思いますが、ちょうどその頃、アメリカでは「レイプ・オブ・南京」という本が出版され、それがベストセラーとなり、この本に触発されてか、中国系アメリカ人による「対日賠償団体」が結成され、彼らが米国社会で声高に日本の中国大陸での”犯罪”を訴えだし、日本政府に対して政治的、法的な行動を起こし始めたのでした。

在米邦人の私は、彼等の主張を知るにつれ、その一方的な誇張宣伝に、何とかしなければと思うようになったのですが・・・もちろん1人で何とかすることはできません。米国の日系人はといえば、こういう問題には無関心か、逆に対日賠償団体に協力するかのいずれかだったので、唯一の頼みは米国の対日賠償団体に異を唱えるネット保守でした。

というわけで、私の対日賠償ウォッチが始まりました。その間にさまざまな初代ネット保守の人々と知り合い、その中の一人が(ゴジラズ)ワイフさんでした。

その頃のワイフさんは、まだ石井一昌先生とはお知り合いではなかったと思います。

初代ネット保守、庶民保守の動きは、小林よしのりさんの「戦争論」の影響もあって、それはそれはエキサイティングなものでしたが・・・所詮どれもがおままごとにすぎませんでした。たくさんあった保守系のホームページも多くは消えてなくなり、今では2チャンネル上の「ネトウヨ」へと変遷して行ったのでした。その中で知り合った保守系論客の中で、今でもお付き合いが続いているのがワイフさんです。ワイフさんは小柄でかわいい女性ですが、私は「彼女こそが、ネット保守の中の「最強の輩」ではないかと今でも思っています。そんな中にも運命的な出会いがありました。それこそがゴジラズワイフmeetsゴジラ=石井一昌先生なのです。そして、石井先生と、右翼を超えた先生のベストパートーナーとしてのワイフさんの庶民保守運動が始まった、と理解しています。

私も、対日賠償ウォッチを続ける中、日本に帰ったときはワイフさんと靖国神社にお参りに行ったり、カラオケや映画に行くのが楽しみでした。先生には、いつもご馳走になってばかりで、靖国神社に集う若手保守の人たちを事務所に招いて色々お話なさる場にも寄せていただきました。

何よりも石井一昌先生は、日本の荒波の歴史を全て経験していらした方です。戦中派でもあり、日本の敗戦、戦後の混乱、経済成長、バブル崩壊、阪神大震災、そして今回の東日本大震災と原発事故。怒涛の日本の歴史のなかで、先生の個人史も荒波の人生だったと思います。その中のほんのひと時の先生を垣間見るに過ぎなかったわけですが、私の知っている先生は、ワイフさんというパートナーと一緒にとってもお幸せそうでした。いつもワイフさんが健康管理の面に厳しく、「怖い怖い」といいながらニコニコしていらして、私にはお惚気にしか聞こえなかったです。

石井先生はいくつかのご著書やウェブサイト「THE LONE WOLF」にたくさんの名言を残されています。それらは日本をこれから背負って行く私たちに残された言霊です。特に若い世代の国を憂える人たちにはぜひ読んで考えて欲しいです。このままの日本でいいのか、今の保守運動で本当にいいのか・・・課題は山積しています。

そして迷ったとき、先生のお心を一番よくご存知のワイフさんが運営なさっている「THE LONE WOLF」を見たいただきたい。ワイフさんこそが先生のお志を一番よく理解している継承者なのですから。

どうか先生、これからもワイフさんを通じて、日本を正しい道へ導いてください。そう願わずにはいられません。本当にさびしいです。

  RIO 元皇國ピースフロント管理人   


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石井一昌追悼文がんちゃん

石井一昌(日本を築く庶民の会会長・元護國團最高顧問・元護國團団長)への追悼文

石井一昌命追悼

石井一昌氏と初めて会つたのは平成十五年だつた。だから、考へてみると石井氏との交流は十年未満といふ短い期間である。しかも、それほど親密に交流してゐたといふわけでもない。それでも、石井氏との思ひ出は強く心に残つてゐるので不思議なものだ。

石井氏と初めて出会つたのは僕がまだ大学生のころで、野村秋介氏追悼の「群青忌」のために広島から上京した折だつた。それまでも中西玲子(石井玲子)女史を通じての電話や石井一昌ホームページのフラッシュ作成などでの多少の交流はあつたのだが、面識はなかつた。石井氏は野村氏に対して批判的であつたし、もちろん僕もそのことは石井氏の著書で十分に知つてゐたのだが、それでも僕が「群青忌に行くために上京しました」と言ふと、明らかに冗談だとわかるやうにファイティング・ポーズをとつてパンチを繰り出し「何だと!」と言ふも、険悪な雰囲気になることもなく、その後「まだホテルをとつてゐないのなら事務所に泊つていけ」と言つてくれて、事務所に泊らせていただいた。これが初対面だつたこともあつてか、石井氏は暴れ者だといふのが世の評判ださうだが、僕にはさうは思へなかつた。

その後、僕は大学を卒業して上京し、右翼・民族派運動を始めた。上京後も石井氏との交流は主に中西女史を通じてであつた。右翼・民族派として石井氏と共に活動したといふ記憶はない。しかし、石井氏がプロデュースするイベントで登壇させていただくことはあつたし、集会やイベントなどで一緒になり、終はると食事に誘はれて食事を共にすることもたびたびあつた。それは、石井氏は庶民とともに庶民のための運動を巻き起こすといふ理念から「日本を築く庶民の会」を結成してをり、僕はその会に所属してゐたわけではないのだが、志を同じくする部分があつたからだと思ふ。

また、僕が渋谷駅ハチ公口で浪曼派演説会「まほろば」といふ街頭演説活動を始めた時には、石井氏と中西女史とでふと渋谷に来て顔を出してくれたこともあつた。演説会を始めてまだ二回目だつたので、顔を出してくれて心強かつた。

石井氏の訃報が届く一、二ヶ月ほど前だつたと思ふが、中西女史から石井氏が入院したことは知らされてゐた。しかし、その後は回復に向かつてゐると聞いてゐたやうに思ふ。そのために、訃報を聞いた時には驚いた。

石井一昌命のご冥福をお祈り申し上げる。

    がんちゃん 大和国原管理人
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石井一昌追悼文奥村康様

石井一昌(日本を築く庶民の会会長・元護國團最高顧問・元護國團団長)への追悼文

石井一昌様を偲んで

何年か前、親友の当時聖マリアンナ医大のリウマチ病の権威西岡教授の紹介でお逢いしましたのが、お付き合いの始まりです。石井様は西岡先生の患者さんでもあられたのですが、まだ大変お元気でしかも意気軒昂で、短い期間でしたがいろいろ感動させられることの多いお付き合いでした。

石井様を囲む多くの若い方々に檄を飛ばしておられる姿、懐かしい次第です。いつも日本の未来を憂え、過去の歴史の失敗に基づき新生日本への夢を若い方に語っておられました。

私の専門の医学も、共通した点が多々あり、驚嘆する石井様の会合にも西岡先生達と顔を出した事があります。医学も、たとえノーベル賞学者とはいえひとりの人間が生涯に成し得たり、また貢献できる量は知れたものです。しかしそれを基盤として次々と弟子や後輩に成果が引き継がれ発展し続けられたために人は現代の医学の恩恵に与かっています。

石井様の激しい生き方とその思想体系を基に新しい世代の方々の新たな発展がはじまることを願い、ここに御冥福を祈ります。

    順天堂大学名誉教授 奥村康


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石井一昌追悼のお知らせ

石井一昌(日本を築く庶民の会会長・元護國團最高顧問・元護國團団長)は

平成24年9月16日16時30分来世へ旅立ちました。

行年86歳

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お悔やみの言葉を頂いた方々のイニシャル 頂いた順番
「御冥福をお祈りします」類似のお言葉以外を紹介

K・I 様
K・D 様  石井一昌先生は、ご病気にも関わらず、私を励ましてくださっているように感じました。(二度お見舞いに来て下さいました。石井はまるで息子のように彼の名前ばかりを呼び続けていました。)
E・T 様 
О・K 様 
K・Y 様 
I・C 様  逝去の知らせを受けた時は仕事中でしたが思わず泣いてしまいました。
О・K 様
S・J 様
H・M 様
R・M 様
S・H 様
S・K 様
B・T 様
T・S 様
S・S 様
H・K 様
F・K 様
W・S 様
K・Y 様
E・T 様
M・Y 様  八月二十日に見舞いに行った時には、まさか亡くなるとは思いもしませんでした。
K・Y 様
M・M 様
T・M 様  ステージWのガンと闘っています。簡単に死んだら石井先生に怒られそうなので、必ず闘い抜きます。
S・H 様  
S・K 様
Y・E 様
C・Y 様
Y・M 様  心にぽっかりと空いた穴は、なかなか埋められるものではないと思います。ましてや、大切な人の死は…。ワイフさん、くれぐれも御身御大切になさって下さい。 私は、ワイフさんのHPを初めて見た時から、ワイフさんに憧れておりました。 私のような者がワイフさんの後には大勢いるはずですから。
R・M 様
I・Y 様
M・S 様
M・T 様
H・S 様
Y・T 様  
N・M 様
A・H 様
О・E 様
Y・T 様  小生は日夜奈良の方へ向かってお祈りいたしております。
K・M 様
M・K 様
G・S 様
H・Y 様
M・K 様
N・K 様
K・N 様
H・I 様
Y・S 様  ワイフさんの周りには千の風が優しく吹いていることでしょう 。出会いと別れ・・心穏やかに過ごせたら幸せと思っています。お体大切にお過ごし下さい。
О・K 様  日時しか癒してくれるものはないと思います。 
M・A 様  お二人で共に歩まれた日々、同志としての思いを大切に全うされたご様子が胸に響きました。私も夫を七年前に見送りましたので、しみじみと貴女様のお心がしのばれます。思い出は追々と我が身の内にあること、つくづく感じ入っております。
M・K 様
T・N 様


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